学校というものが嫌いな理由(いじめ、毒親関係含むため閲覧注意)
キリシマです。
今回は、一番のトラウマ時代だった学生時代について綴ります。
今回の記事は、前回の毒親関係と同様過激な発言を含みます。閲覧する際には十分ご注意ください。
私、キリシマが辛かったこと。
学校内で起こったこと(先生・生徒の内容両方含めます)
たくさん上げるときりがないので特にひどかったものを挙げます。
・小学校高学年、給食配膳をはじめとした隣クラスへの謎の対抗、遅かったりミスをすればもう一週間給食係をやらされる。
・体育の先生も生徒が嫌がることを授業で行った。クラス全体を通して体罰のような授業をさせた。当時の体育教師も幼稚な先生。
↓ここから中学
・音楽の授業で自分が席を離れている間シャープペンの芯を盗まれる。
・給食の配膳で、麻婆豆腐にコショウを勝手にかけられた。(もちろん学校で支給されたものではない)挙句の果てに「調子乗るなよ」
・自分が好きだった鉄道の写真を、いじめっ子に捨てられる。
その後、先生はそのいじめっ子の行為を擁護するように自分に叱った。「鉄道の写真は持ってくるな」と。
もうクソ。思い出したくもないけど、大人になった今でも時々トラウマがよぎってしまう。
あまりのクソさに、トラウマがよみがえる度に殺意が顔に出てしまうことが何度もあります。
家庭内で起こったこと
ひたすら書きなぐっていきます。
自分が上記の事件があって(主にいじめ関係で)、休もうとしたり、学校に行かなかったりしたら…
毒母「休んだらいじめっ子に負けたことになるんだよ!」
そんなクソみたいな理由でいじめっ子のいる学校に行けってか?
冗 談 じ ゃ な い。
というか実の子供が悲惨な目にあっているのに学校へ行かせようとする精神がもう信じられない。
本当に人間か?
もちろんその無理やり学校に連れて行かれた日は速攻で帰りました。
そもそも学校にいたくないし、家にいれば毒親が待っているという地獄。もうどこに身を置けばいいのか…
家帰ったらひたすら寝るだけ。食事もまともに取れた日はほとんどなかったです。
唯一の救いは「撮り鉄」。大好きな鉄道と一緒にいることで、少しだけでも心の負荷が減るといいなと考えました。
親にバレずに早朝から家を抜け出し、自転車で駅まで、そして電車でちょびっとだけ遠くへ。1日だけでも学校や家にいるよりかははるかにマシでした。
まぁ家に帰って翌日になったら親に無理やり学校行けと脅された。くたばれ。
大人になってから気づいたこと
大人になるにつれて、毒親と同じく先生も結局いじめっ子と同じ側に立っていたということを痛感させられました。
結局、小学校の先生も中学校の先生もはっきり言って「クズ」でした。
全員とは言いませんが。
小学校高学年のころの先生は「俺がルールだ」と言わんばかりで、中身が幼稚な先生でした。生徒がちょっとでも気に入らなかったことをしたり、隣のクラスに給食の配膳で時間がかかっていたりしたらその担当の給食当番はもう一週間やらされることもザラでした。
もちろん当時は生徒である以上逆らうことなんてこれっぽっちも考えていませんでしたし、ただただ怯えるだけでした。
大人になった今でははっきり「ああ、あの先生は幼稚だったんだな」とはっきり断言できます。
先生という立場を利用し、生徒である子供を圧力と恐怖で支配する。
こんなのが先生では、子供たちにも大きな悪影響が出てくるのは言うまでもありませんね。この状態を黙ってみていた先生たちも同罪です。正直先生を人として扱いたくありません。
少し話がそれるようですが先日、このようなツイートを見つけました。
学校は洗脳場所です。昔からそうです。集団の中でいかに個性を殺すか、異を唱えてはいけないということを学ぶところです。
— 🍺o-p🍺 (@OP_chang) 2022年5月15日
上のツイートですが、少なくとも自分は間違っていないと思います。というどころかド直球の正論です。
クラスとかでちょっとでも異を唱えようとするといじめっ子や先生がすぐに反応し、さらに無理やりクラスメイトからも圧をかけてきます。そして、異論を唱えようとする人は誰一人いなくなります。
大人になってみてわかったことで決定的に違ったのが、自分がいじめの被害にあった時の、中1の時の先生と中2以降の先生の対応です。
自分個人の判断ですが、好感を持った先生とクズの先生の反応を簡単に。
中1の先生(自分が好感を持った先生)
「手を出すのは仕方ないが、『×ね』とは言うな。」
中1以外の先生(自分がクズだなと思った先生)
「手出したらいかんよ!/なんで手を出したんだ!?」
前者なら反射的に手を出してしまったということを、苦しいながらも理解していたんだなと思います。
さすがに命に直結する暴言、悪口はご法度という感じです。こちらはいじめっ子だろうが一人の人間(見た目は)という認識を持っていたためか、このような叱咤をしたのではないかと思います。
実際虫や動物だろうが自分の身に迫った危機に対しては必死で抵抗します。
(例えるなら、動物や虫が近寄った人間に対して噛みついてくる)
それは人間も同じです。人間も防衛本能というものは存在します。
一方後者の言い分は、手を出したら「ケンカ両成敗」的な意見でもあったんでしょうか?人がいじめられているのにそこには目をつむって叱るってどういうことだよ?
殴られたら殴り返すのもいけないのかよ?
大人になってわかったことは、先生も信用できない。いじめっ子の肩を持つクズだったと。(後者のほうは××でも許しません)
最後に。後日談…?
先ほどのツイートのように、学校というのは幼少期から上に逆らえないように洗脳し、個性を奪い、トラウマを植え付ける場所というのが自分の印象です。これは職場でも一緒です。
生徒である立場である以上、上である先生に逆らうことなんてほとんどの場合できないですし、一部の先生からしたら自分の立場や権力を利用して生徒たちに圧力をかける…
義務教育って呪いなのか?
学校で習うことは普段の生活でもほとんど役に立たないことばかり。なのに授業やテストに出すのってすごい違和感感じる。
(役立つものは家庭科内容ほぼすべてと、経済と法律の授業程度)
全員とは言いませんが、
先生も結局権力という玩具を使って、生徒たちを支配することに長けた子供なんだな。毒親と何も変わらない…
というのが自分の率直な感想です。
正直この学生時代が凄惨だったおかげで、自分というものがどれだけ毒されてきたか…
人を簡単に信用できなくなってしまったか…
親しい人でも何かしら疑うようになってしまったか…
自分に甘えるようになってしまったか…(約束の時間を守れなかったりとか)
そりゃ子供のような大人になるよ。自分。
つらい。
そしてこのようにして不幸というのはループしていくんだと。
しかし、ここ最近でやっと気づけた。つらいことがよぎるときもあるけど。
今は頼れる友人もできた。自分の親が毒親であることも知った。
つらい時でも相談ができるようになった。
頼りになる仲間ができたことと、仲間を持つことの大切さを最近になってやっと学ぶことができた。これはできるようでなかなかできないことだと思うし、なかなか気づけないと思う。
今、学校や家でいじめられている子へ…(被害者へ)
正直に言います。
不登校なら不登校で全然かまわないですし、何よりも自分の居場所を第一に作って、そこに逃げてください。
家の中じゃなくてもいい。少しの時間でもいい。逃げるときは逃げていい。
自分の身を第一に逃げて。自分が知らない場所へ行ってでもいい。とにかく逃げて。
あとは、相談できる相手には全力で相談して。
先生や親じゃなくてもいい。友達でもいい。相談機関でもいい。
とにかく悩みがあるならできる限り相談して。少しでも体と心の負担を軽くして。
届くかどうかはわかりませんが、可能な限り自分なりのアドバイスを書きました。
そして加害者側へ一言。
いじめっ子と学生時代の一部の先生、そして毒親は仮に自分の身がこの世から去ろうが、あなた方を許すことは決してありません。
一分一秒でも早くくたばりやがれ。××ども。
もし、自分自身が悪いと思ったら誠意を被害者に見せて、自分の過ちを認めろ。
決して、被害者側は許してくれるとは思わないことだ。
心の傷は一生消えない。肝に銘じろ!!
トラウマを書きなぐったら疲れました。ふぅ…。
愚痴に最後まで付き合ってくださりありがとうございました。
そして、この記事を書いたことをお許しください。